衛生科学
hygiene
英語・ドイツ語明治初期長与専斎

1838–1902(64歳)
肥前国大村藩(現・長崎県)の藩医の家に生まれ、大坂の緒方洪庵の適塾で医学を修めた後、長崎でオランダ人医師ポンペに西洋医学を学んだ。明治4年には岩倉具視の遣欧使節団に加わり、欧米各国の医学教育・衛生制度を直接視察した。
帰国後、文部省医務局長を経て、明治8年(1875年)に内務省衛生局初代局長に就任し、以後19年間にわたって日本の近代衛生行政の基盤を構築した。医師免許制度の整備、コレラ・天然痘などの防疫・検疫制度の導入、種痘の普及など、今日の公衆衛生制度の骨格を作り上げた。
翻訳語の面では、英独語hygiene(ヒュギーネ)の訳語として、荘子「庚桑楚篇」の「衛生の経」から「衛生」を選び、近代日本に公衆衛生の概念を根付かせた。自伝『松香私志』の中でこの命名の経緯を詳述しており、字の雅さと発音の適切さを選定の理由に挙げている。