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「世界」の語源——時間と空間から地球全体へ

「世界」は仏教語として、すべての時間を表す「世」と、すべての空間を表す「界」から成った。近世の世界地図と近代地理学を経て、world の訳語として地球・万国・人類社会を指す語へ広がる過程をたどる。

「世界地図」「世界史」「世界市場」「自分の世界」——現代日本語の「世界」は、 地球全体から人間社会、専門分野、個人の内面までを一語で包み込む。 しかしこの語の出発点は、地球儀でも国際社会でもなく、仏教の宇宙観だった。 「世界」は、時間と空間を合わせた壮大な語として日本語に入り、 近世・近代を通じて world の訳語へ変わっていった。

仏教語としての「世界」

「世界」は、サンスクリット語 lokadhātu などの漢訳として広まった仏教語だ。 「世」は過去・現在・未来の三世、すなわち時間の広がりを表す。 「界」は東西南北上下、すなわち空間の境域を表す。 したがって「世界」は、字義どおりには「時間と空間の全体」を指す語だった。

仏教の世界は、単なる物理的な地球ではない。 須弥山を中心とする宇宙構造、衆生が生きる場所、仏の国土、浄土といった 宗教的・宇宙論的な広がりを持っていた。 「三千大千世界」という表現に見られるように、 世界は一つの地表面ではなく、無数に重なり広がる存在領域として考えられていた。

「世界」の字義

世(過去・現在・未来の三世)+ 界(東西南北上下の境域)
仏教語では「時間と空間を含む全体」を表す。
地球上の諸国という近代的な意味より、はるかに宇宙論的な語だった。

「世の中」への縮小

仏教語として入った「世界」は、やがて日常語・文学語として使われるようになる。 『竹取物語』には、世間の人々やあたり一帯を指す用例が見える。 中国の唐詩や日本の古典文学では、「世界」は宇宙全体というより、 人間が生きている場、世の中、世間という意味へ近づいていった。

この変化は自然だった。 仏教の宇宙論はあまりに大きいが、人間が実際に語る「世界」は、 たいてい自分の生きる範囲を指す。 「住む世界が違う」「芸能の世界」「子どもの世界」のような用法は、 この「ある範囲の内側」という意味を受け継いでいる。 「界」という字が持つ境域・領域の感覚が、専門分野や共同体の意味を支えている。

意味の広がり

  • 仏教語 —— 時間と空間を含む宇宙論的全体
  • 古典文学 —— 世の中、人間社会、あたり一帯
  • 近世 —— 地球・万国・海外を含む地理的空間
  • 近代 —— world の訳語として国際社会・人類全体へ拡張

世界地図が変えた「世界」

「世界」が地球上の諸地域を指す語として強まった大きな契機は、近世の世界地図だった。 17世紀初め、マテオ・リッチの『坤輿万国全図』が東アジアに伝わり、 日本でもそれをもとにした世界図屏風が作られた。 ここで「世界」は、仏教的な宇宙ではなく、 海でつながる諸大陸・諸国家の配置を示す語へ傾いていく。

江戸後期には蘭学を通じて、地理・天文・航海の知識が流入した。 朽木昌綱『泰西輿地図説』、山村才助『訂正増訳采覧異言』、 箕作省吾『坤輿図識』などは、海外の地理知識を日本語で説明した。 この時代の「世界」は、仏典の語でありながら、 しだいに「地球上の万国」を考えるための語彙になっていった。

近世の転換

仏教的世界像 → 世界地図 → 万国・地球の空間
「世界」は、見えない宇宙論から、地図で見える地球空間へ重心を移した。

world——「人の時代」という英語

一方、訳元となった英語 world の語源も興味深い。world は古英語 weorold にさかのぼり、 ゲルマン祖語の wer(人・男)と ald(年齢・時代)から成るとされる。 字義は「人の時代」あるいは「人間の生きる時代」だ。

つまり world も、もともとは地球という惑星そのものではなく、 人間が生きる現世、人間社会、この世の営みを指していた。 のちに「知られている世界」「物理的世界」「宇宙」へ意味が広がり、 近代地理学では「地球上の諸地域」を表す語として使われるようになった。 「世界」と world は別々の語源を持ちながら、 どちらも「人間が生きる場」から「地球全体」へ意味を広げた点で響き合っている。

world の語源

古英語 weorold / worold
wer(人・男)+ ald(年齢・時代)→「人の時代」
「この世の人間的生」から、地理的な世界・地球全体へ意味が拡張した。

近代語としての「世界」

明治期になると、「世界」は world の訳語として安定する。 学校教育、地理学、国際関係、歴史叙述のなかで、 「世界史」「世界地理」「世界各国」「世界市場」のような複合語が増えていった。 国家の外側に広がる空間を考えるには、「天下」や「四海」では足りなかった。 「世界」は、地球規模の比較と接続を可能にする近代語になった。

同時に、哲学では world やドイツ語 Welt の訳語として、 「世界」が存在全体・経験全体を表す語にもなった。 「世界観」「生活世界」「客観的世界」のような表現では、 地図上の地球ではなく、認識され、生きられ、意味づけられた全体が問題になる。 仏教語の「時間と空間の全体」という古い含みは、 近代哲学の語彙の中で別の形でよみがえったとも言える。

語源が照らすもの

「世界」は、仏教の宇宙論から生まれ、古典文学で世間になり、 世界地図によって地球になり、近代翻訳によって world になった。 その過程で意味は狭まりも広がりもした。 宇宙全体を指した語が、人間社会を指し、 さらに国境を越えた地球全体を指すようになったからだ。

語源を見ると、「世界」は最初から単なる場所ではなかった。 「世」は時間、「界」は空間。 そこに world の「人間が生きる時代」という感覚が重なる。 私たちが「世界」と言うとき、そこには地図上の広がりだけでなく、 人間が時間の中で生き、境界の内側に意味を作るという感覚が残っている。 「世界」は、場所の名前であると同時に、人間の生の広がりを表す言葉なのだ。

参考文献

  • コトバンク「世界」
  • 語源由来辞典「世界/せかい」
  • Online Etymology Dictionary, “world”
  • Dictionary.com, “world”
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